2008年 10月 23日
屋号 |
以前にブログで
お客様から私の店の屋号について
尋ねられることが多いという事を書いたことが有ります・・・・・・
正確に説明しますと専門的になり
話が長くなるので
私の名前から来ていますと
屋号について説明いたしますと
お客様の中には笹屋とちごて
「それやったたら笹庵でもええのとちゃうか?」と
仰るお客様が居られます・・・・・・・・
確かに蕎麦屋で「庵」の付くお店は全国的に沢山ありますし
蕎麦屋=屋号の最語に「庵」が付くのが自然なぐらいに
蕎麦屋には○○庵というお店が多いのは事実です
この蕎麦屋の屋号に「庵」が多いのは
偶然ではなく謂れがあるのです
「庵」を広辞苑で見ますと以下のように書かれています
あん【庵・菴】
草葺ブきの小家。隠遁者または僧の閑居する小家。いおり。いお。「庵主・庵室・草庵」
大寺に付属する小僧房。〈ロドリーゲス大文典〉
住宅の号、文人・茶人の雅号、または料理屋などの家の名に添える語。「幻住庵」
それではなぜ蕎麦屋の屋号に「庵」が多いかについての謂れです
江戸時代の中頃
浅草に一心山 極楽寺称往院という
浄土宗のお寺がありました(現在は世田谷区北烏山に移転)
その院内に「道光庵」という支院があり
ここの庵主が信州の生まれで
たいそう蕎麦打ちが得意で上手だったそうです
その自慢の手打ち蕎麦を檀家の方々に振舞っていました
庵主の打った蕎麦は
江戸の蕎麦とはまた一味違う美味しさで
檀家の中で大変評判が良かったそうです
信州蕎麦の美味しさは檀家から江戸の蕎麦好きにへと
ウワサは町中に広がり始めました
そのウワサの蕎麦をお目当てに
道光庵には日々、長蛇の行列が出来ていたそうです
これはウワサだけではなく
当時の評判記などに本職の蕎麦屋以上に高い評価を得ています
この大人気に町の蕎麦屋があやかろうとして「道光庵」の
「庵」を屋号の最後に付ける店が沢山出てきました
江戸時代の蕎麦屋の流行と言うやつでしょう・・・・・・・・
今日でも人気や流行を取り入れるということは
商売をする上で大変重要な事だと私も思います
また、「庵」と屋号に付けるのには
人気や流行という物とは別に
信仰心や尊敬の念もあったのだと私は思います
その時代のことは当然分かりませんが
なんとなくですが
ありがたいイメージや雰囲気が感じられます
私の店の屋号に「庵」がないのは
俗世間で流され育った私には到底
蕎麦屋として「庵」を頂戴することは畏れ多いのです
なにわともあれ・・・・・・・・・気持ちだけでも頂きます
お客様から私の店の屋号について
尋ねられることが多いという事を書いたことが有ります・・・・・・
正確に説明しますと専門的になり
話が長くなるので
私の名前から来ていますと
屋号について説明いたしますと
お客様の中には笹屋とちごて
「それやったたら笹庵でもええのとちゃうか?」と
仰るお客様が居られます・・・・・・・・
確かに蕎麦屋で「庵」の付くお店は全国的に沢山ありますし
蕎麦屋=屋号の最語に「庵」が付くのが自然なぐらいに
蕎麦屋には○○庵というお店が多いのは事実です
この蕎麦屋の屋号に「庵」が多いのは
偶然ではなく謂れがあるのです
「庵」を広辞苑で見ますと以下のように書かれています
あん【庵・菴】
草葺ブきの小家。隠遁者または僧の閑居する小家。いおり。いお。「庵主・庵室・草庵」
大寺に付属する小僧房。〈ロドリーゲス大文典〉
住宅の号、文人・茶人の雅号、または料理屋などの家の名に添える語。「幻住庵」
それではなぜ蕎麦屋の屋号に「庵」が多いかについての謂れです
江戸時代の中頃
浅草に一心山 極楽寺称往院という
浄土宗のお寺がありました(現在は世田谷区北烏山に移転)
その院内に「道光庵」という支院があり
ここの庵主が信州の生まれで
たいそう蕎麦打ちが得意で上手だったそうです
その自慢の手打ち蕎麦を檀家の方々に振舞っていました
庵主の打った蕎麦は
江戸の蕎麦とはまた一味違う美味しさで
檀家の中で大変評判が良かったそうです
信州蕎麦の美味しさは檀家から江戸の蕎麦好きにへと
ウワサは町中に広がり始めました
そのウワサの蕎麦をお目当てに
道光庵には日々、長蛇の行列が出来ていたそうです
これはウワサだけではなく
当時の評判記などに本職の蕎麦屋以上に高い評価を得ています
この大人気に町の蕎麦屋があやかろうとして「道光庵」の
「庵」を屋号の最後に付ける店が沢山出てきました
江戸時代の蕎麦屋の流行と言うやつでしょう・・・・・・・・
今日でも人気や流行を取り入れるということは
商売をする上で大変重要な事だと私も思います
また、「庵」と屋号に付けるのには
人気や流行という物とは別に
信仰心や尊敬の念もあったのだと私は思います
その時代のことは当然分かりませんが
なんとなくですが
ありがたいイメージや雰囲気が感じられます
私の店の屋号に「庵」がないのは
俗世間で流され育った私には到底
蕎麦屋として「庵」を頂戴することは畏れ多いのです
なにわともあれ・・・・・・・・・気持ちだけでも頂きます
by sobadokoro
| 2008-10-23 14:55
| 昔話