2005年 12月 29日
年越し蕎麦 |
今年もあと少しで大晦日です
大晦日といえば「紅白」「除夜の鐘」・・・・・
忘れてはいけません
やっぱり年越し蕎麦を食べて下さい
蕎麦アレルギーの方には申し訳御座いませんが
子供の頃から毎年、訳も分からず食べていました
私が子供の頃は母親にテレビから流れる除夜の鐘の鳴る少し前に
食べさせられていたのを覚えています
子供ですから当然その時間帯は眠たいのですが
めったに無い親公認の夜更かしですから頑張って起きていました
そして蕎麦が運ばれてくると
「行く年来る年」を見ながら食べていました
母はさっき見た紅白の話をしてました
「今年は紅組みが勝つとお母ちゃんおもてたわ」などと・・・・・・・
私は母親が即興で出汁を取って作ってくれた
鶏なんばが好きでしたが
年越し蕎麦だけは海老の天麩羅がどんと乗っかっていました
幼心に鶏の出汁と蕎麦が愛称の好いを本能で分かっていたのでしょうか・・・・・
この年越し蕎麦なる物、何時ごろ初じまったのか調べてみました
下記に記載致しますので
今年の年越し蕎麦を食べるときにでも参考にして頂ければ幸いです
其れでは皆様よいお年をお迎え下さい
本年は誠に有難う御座いました。
年越し蕎麦の謂われ
としとりそば おおとしそば おおつごもり おおみそかそば
年越し蕎麦には「歳取り蕎麦」「大年蕎麦」「大晦蕎麦」「大晦日蕎麦」
などの別名がある。その期限は明らかではないが、
宝暦六年(1756)刊『眉斧目録』八篇に、
「闇をこねる歟大年の蕎麦」と「大年蕎麦」の語があることから、
江戸時代中期頃にはすでに歳末の慣わしとなっていたと推定される。
由来には、次のような諸説がある。
1.「運蕎麦」説
鎌倉時代、博多の承天寺で年末を越せない町人に「世直し蕎麦」と称して蕎麦餅を振る舞った。
すると、その翌年から町人たちに運が向いてきたので、以来、
大晦日に「運蕎麦」を食べる習慣になったという。「運気蕎麦」あるいは「福蕎麦」ともいう。
2.三稜(三角)縁起説
室町時代、関東三長者のひとりであった増淵民部が、毎年の大晦日に無事息災を祝って
「世の中にめでたいものは蕎麦の種 花咲きみのりみかどおさまる」と歌い、
家人ともども蕎麦掻を食べたのがはじまりとする。
3.「細く長く」の形状説
蕎麦切りは細く長くのびることから、家運を伸ばし、寿命を延ばし、
身代を永続きさせたいと縁起をかついだ「寿命蕎麦」
(新潟県佐渡郡)「のび蕎麦」(越前)ともいう。
4.「切れやすい」ことからの形状説
蕎麦は切れやすい。そこから一年の苦労や厄災をきれいさっぱり切捨てようと食べるという説。
「縁切り蕎麦」「年切り蕎麦」ともいう。また、一年中の借金を絶ち切る意味で
「借金切り」(岡山県賀陽町)とも。どちらも残さずに食べ切らないといけない。
5.蕎麦効能説
『本朝食鑑』(元禄十年・1697)に蕎麦は「気を降し腸を寛し、能く胃腸の滓穢積滞を錬る」
とあるように、蕎麦によって体内を清浄にして新年を迎えるという説。
薬味のネギは、清めはらう神宮の禰宜に通じる、との俗信もある。
6. 捲土重来説
ソバはひと晩風雨に晒されても、翌朝陽が射せばすぐに立ち直る。
それにあやかって「来年こそは」と食べる。
7.金運説
金箔を打つ時、打ち粉にそば粉を使うと金箔の裂け目を防げ、
裂け目ができても一ヶ所に寄ってくっつく。
また、金銀細工師は飛び散った金銀の粉を掻き集めるときにもそば粉を使う。
そこから、蕎麦は金を集めるという縁起で食べようになったとする。
柴田書店 「蕎麦の事典」新島 繁編著 より抜粋
大晦日といえば「紅白」「除夜の鐘」・・・・・
忘れてはいけません
やっぱり年越し蕎麦を食べて下さい
蕎麦アレルギーの方には申し訳御座いませんが
子供の頃から毎年、訳も分からず食べていました
私が子供の頃は母親にテレビから流れる除夜の鐘の鳴る少し前に
食べさせられていたのを覚えています
子供ですから当然その時間帯は眠たいのですが
めったに無い親公認の夜更かしですから頑張って起きていました
そして蕎麦が運ばれてくると
「行く年来る年」を見ながら食べていました
母はさっき見た紅白の話をしてました
「今年は紅組みが勝つとお母ちゃんおもてたわ」などと・・・・・・・
私は母親が即興で出汁を取って作ってくれた
鶏なんばが好きでしたが
年越し蕎麦だけは海老の天麩羅がどんと乗っかっていました
幼心に鶏の出汁と蕎麦が愛称の好いを本能で分かっていたのでしょうか・・・・・
この年越し蕎麦なる物、何時ごろ初じまったのか調べてみました
下記に記載致しますので
今年の年越し蕎麦を食べるときにでも参考にして頂ければ幸いです
其れでは皆様よいお年をお迎え下さい
本年は誠に有難う御座いました。
年越し蕎麦の謂われ
としとりそば おおとしそば おおつごもり おおみそかそば
年越し蕎麦には「歳取り蕎麦」「大年蕎麦」「大晦蕎麦」「大晦日蕎麦」
などの別名がある。その期限は明らかではないが、
宝暦六年(1756)刊『眉斧目録』八篇に、
「闇をこねる歟大年の蕎麦」と「大年蕎麦」の語があることから、
江戸時代中期頃にはすでに歳末の慣わしとなっていたと推定される。
由来には、次のような諸説がある。
1.「運蕎麦」説
鎌倉時代、博多の承天寺で年末を越せない町人に「世直し蕎麦」と称して蕎麦餅を振る舞った。
すると、その翌年から町人たちに運が向いてきたので、以来、
大晦日に「運蕎麦」を食べる習慣になったという。「運気蕎麦」あるいは「福蕎麦」ともいう。
2.三稜(三角)縁起説
室町時代、関東三長者のひとりであった増淵民部が、毎年の大晦日に無事息災を祝って
「世の中にめでたいものは蕎麦の種 花咲きみのりみかどおさまる」と歌い、
家人ともども蕎麦掻を食べたのがはじまりとする。
3.「細く長く」の形状説
蕎麦切りは細く長くのびることから、家運を伸ばし、寿命を延ばし、
身代を永続きさせたいと縁起をかついだ「寿命蕎麦」
(新潟県佐渡郡)「のび蕎麦」(越前)ともいう。
4.「切れやすい」ことからの形状説
蕎麦は切れやすい。そこから一年の苦労や厄災をきれいさっぱり切捨てようと食べるという説。
「縁切り蕎麦」「年切り蕎麦」ともいう。また、一年中の借金を絶ち切る意味で
「借金切り」(岡山県賀陽町)とも。どちらも残さずに食べ切らないといけない。
5.蕎麦効能説
『本朝食鑑』(元禄十年・1697)に蕎麦は「気を降し腸を寛し、能く胃腸の滓穢積滞を錬る」
とあるように、蕎麦によって体内を清浄にして新年を迎えるという説。
薬味のネギは、清めはらう神宮の禰宜に通じる、との俗信もある。
6. 捲土重来説
ソバはひと晩風雨に晒されても、翌朝陽が射せばすぐに立ち直る。
それにあやかって「来年こそは」と食べる。
7.金運説
金箔を打つ時、打ち粉にそば粉を使うと金箔の裂け目を防げ、
裂け目ができても一ヶ所に寄ってくっつく。
また、金銀細工師は飛び散った金銀の粉を掻き集めるときにもそば粉を使う。
そこから、蕎麦は金を集めるという縁起で食べようになったとする。
柴田書店 「蕎麦の事典」新島 繁編著 より抜粋
by sobadokoro
| 2005-12-29 10:24
| 食べ物